今日の聖句5月22日(土) だれが、この方の来られる日に耐えられよう。 だれが、この方の現われるとき立っていられよう。  マラキ3:2 私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。 それは、義なるイエス・キリストです。  1ヨハネ2:1 ***************************** ヨハネの福音書7章8節 あなたがたは祭りに上って行きなさい。わたしはこの祭りには行きません。 わたしの時がまだ満ちていないからです。 「イエス様の時」 イエス様の弟たちがイエス様に対して「あなたの弟子たちもあなたがしているわ ざを見ることができるように、ここを去ってユダヤに行きなさい。自分から公の 場に出たいと思いながら、隠れた所で事を行なう者はありません。あなたがこれ らの事を行なうのなら、自分を世に現わしなさい。」(3-4)と言いました。 「田舎でこそこそやってないで、エルサレムへ行ってユダヤ教の指導者達から正 式にイスラエルのメシヤとして認めてもらいなさい」という提案です。弟たちは イエス様が御父から与えられた使命が何であるかを理解していないということが よく分かる場面です。弟たちにも使徒達にもこの頃はまだ十字架は分かっていま せんでした。 「わたしの時」という言葉で表されているイエス様の「時」とはイエス様が十字 架に掛けられて死に、よみがえって天に上げられるときのことです。イエス様に は十字架にかかり、復活して天に昇るというイエス様独自の人生目標がありまし た。エルサレムにはユダヤ教指導者達のイエス様への殺意がありますが、その勢 いや準備はまだまだ足りない、という判断が示されています。 イエス様が本当に世の中に知られ、歴史上有名になるのは十字架にかかったとい うことなのです。ナザレのイエスという人が有名になったのは、十字架で死に、 そしてよみがえり、天に昇ったということです。それによって全世界に救い主・ キリストとして知られているのです。私たちもこのキリストの死と復活について 更に深く知らされる必要があるかも知れません。 祝福を祈ります。