今日の聖句5月16日(日) アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。 創世記12:4 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受 けるのです。 ガラテヤ3:9 ***************************** ヨハネの福音書6章35節 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢 えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがあり ません。 「いのちのパン」 聖書を読むとき「イエス様は○○○である方」とノートにメモしていきます。 そうするとイエス様が私たちにとってどういう御方であるかがよく分かります。 イエス様がどういう御方であるかが分かるとき、私たちは生き生きと信仰生活 ができます。しかし、イエス様がどういう御方であるか分からなくなると私た ちは空腹になったときのように力を失います。 15:7までに7つの「わたしは○○○です。」というイエス様の自己紹介があり ますがその第1がこの「わたしがいのちのパンです。」というものです。イエ ス様が命を与えるパン。いのちを養うパンです。すべての命は生きている命か ら生まれ、すべての命は生きている命によって養われます。無機物から命が生 まれることはないのです。 命が命を生み出す力を持っているのです。赤ちゃんの命は生きているお母さん から与えられます。イエス様が生きている永遠のいのちそのものなので、イエ ス様はいのちを与えることができ、人のいのちを養うことも出来るのです。イ エス様が生きていることはイエス様の御復活が如実に証明しています。人が生 きるためにご飯を食べ米の命を摂取するように、人はキリストのいのちによっ て生きと生きと生きることができるのです。 食べ物を体内に受け入れるのは、それが食べられると信じなければできないこ とです。「信じる」ということと「食べる」ことはと同じなのです。初めて入っ た食堂でどんな人が作ったかも知らずに、平気で信じて食べてしまいます。そ れなら、どうしてこれほどまでに私たちを愛してくださるキリストを心の中に 受入れられない分けがあるでしょうか。イエスさまはご自分をいのちのパンに なぞらえて、こういわれました。「わたしがいのちのパンです。」\(^o^)/ 祝福を祈ります。