今日の聖句5月14日(金) わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を、盲目にし、正しい人の言い 分をゆがめるからである。 出エジプト23:8 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神 は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられま す。 1ヨハネ4:16 ***************************** ヨハネの福音書6章18節〜21節 湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。こうして、四、五キロメートルほどこぎ出 したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、 恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」 それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。 「わたしだ。」 水の上を歩くことによってイエス様はご自分が旧約聖書に書かれている「神」 であることを示されました。創世記の1章1:1-2「初めに、神が天と地を創造し た。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水 の上を動いていた。」というみことばにあるように水の上を歩いたのです。 詩篇 77:19には「あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にあり ました。それで、あなたの足跡を見た者はありません。」と書かれています。 聖書を読んだことのある人なら直感的に「イエス様は神様だ」と思えるはずで す。その上、極めつけは「わたしだ。恐れることはない。」という宣言です。 「わたしだ。」という部分です。丁寧には「わたしです。」であり英語にする と「アイアム」になります。これは出エジプト記3:14で「神はモーセに仰せら れた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」と同じことばです。 創世記、出エジプト記、詩篇を思い起こさせつつ「わたしはある」=「わたし です」とイエス様はご自分が神であることを宣言したのです。 それも激しい嵐の晩、真っ暗な湖の水面で起こった出来事でした。何時でも、 何処でも、どんな時にもイエス様は私たちと一緒にいてくださるお方です。私 たちの生活のあらゆる領域、最もこの世的で、教会に遠く、イエス様が行きそ うにない場所でイエス様は私たちに「わたしだ。恐れることはない。」と言っ て平安をくださるのです。 祝福を祈ります。