今日の聖句5月9日(日) アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。 創世記12:4 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受 けるのです。 ガラテヤ3:9 ***************************** ヨハネの福音書5章20節〜23節 また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが 驚き怪しむためです。父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子も また、与えたいと思う者にいのちを与えます。また、父はだれをもさばかず、 すべてのさばきを子にゆだねられました。それは、すべての者が、父を敬うよ うに子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。 「御子を敬うため」 御子と御父が同質一体であるということを私たち人間が「驚き怪しむため」 (驚愕するため)にベテスダの池のほとりで38年間病んでいた人に「起きて、 床を取り上げて歩きなさい。」と言って歩かせたよりももっと大きなわざを示 すといわれます。それは二つ示されています。 その一「父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えた いと思う者にいのちを与えます。」というみわざです。旧約聖書以来、死者に 命を与えて蘇らせるというみわざは神様の独占的なみわざです。この神様以外 にはできない「いのちを与える」ということを御子もその通りにするのだと言 うことです。 その二「父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。」 ということです。これも旧約聖書で「さばき」は神様のものと教えられていま す。神は裁きメシヤは救うという考えが多い中で、「父はだれをもさばかず、 すべてのさばきを子にゆだねられました。」と語っておられます。 その目的は、御子が御父と同質一体の御神であるということを人々が驚愕的に 知るためであり、「すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。」と説 明されています。人々が御父を畏怖をもって礼拝するように御子イエス・キリ ストを礼拝するためなのです。礼拝されるのはイエス・キリストでなければな らないことです。 祝福を祈ります。