今日の聖句4月21日(水) 「わたしの造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くように、 主の御告げ、あなたがたの子孫と、あなたがたの名もいつまでも続く。 イザヤ66:22 死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を 与えよう。 黙示録62:7 ***************************** ヨハネの福音書2章14節15節16節 そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのを ご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人 の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここか ら持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」 「真の礼拝」 19節に「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」 そして、21節に「イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである」 というイエス様の発言が記録されています。受難週の「宮きよめ」といわれて いる聖書箇所ですが、きよめて綺麗にするというより、神殿礼拝を廃止する宣 言です。 「わたしの父の家を商売の家としてはならない」といわれているのは、動物を 犠牲にして捧げる神殿礼拝には事細かに規定があって、一般庶民には、捧げて 良い動物と、捧げてはいけない動物の区別がつかないので、専門知識のある人 が商人となって動物を扱わなければならなくなっていたということをイエス様 が厳しく咎めたということです。 そもそも、動物を犠牲にして人の罪の赦しを願うという事そのものが、救い主 が自分の命を犠牲にして人の罪の赦すということの模型であるわけですし、神 殿で礼拝されている神様はイエス・キリストご自身であるわけですから、真の 神であるイエス様が登場したからにはもはや無用のものとなっているのです。 イエス様が死んだということは、神殿そのものが死んだのですから、神殿礼拝 と犠牲礼拝に終止符が打たれたということです。イエス様が復活したというこ とは、全人類の全ての罪が赦され、神イエス・キリストへの礼拝が捧げられる ということです。私たちはイエス・キリストによって救われ、日々、イエス・ キリストを礼拝して生きているのです。 祝福を祈ります。 http://www.sam.hi-ho.ne.jp/hamano