今日の聖句4月17日(土) 善をなすことを習い、公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正 しいさばきをなし、やもめのために弁護せよ。」 イザヤ1:17 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。 ガラテヤ6:2 ***************************** ヨハネの福音書1章47節48節 イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「こ れこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」ナタナエル はイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。 「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるの を見たのです。」 「キリストに見られている」 アンデレとヨハネが始めにキリストに出会い、アンデレからペテロに伝わりま した。次にイエス様がピリポに目を留めて「わたしに従って来なさい。」と召 されました。ピリポはベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身で した。次いでピリポはナタナエルに「救い主に会った」ことを告げます。 ナタナエルは「ナザレから何の良いものが出るだろう。」と反論しますがピリ ポは応戦せず「来て、そして、見なさい。」とイエス様の面前にナタナエルを 連れ出します。私たちも伝道するとき、相手が議論で立ち向かってきても、キ リストの体である教会を紹介したり、救われた「証し」をもって福音を伝える 方が良いのかも知れません。福音は議論では証明できないのです。 イエス様はナタナエルがご自分のほうに来るのを見て「これこそ、ほんとうの イスラエル人だ。彼のうちには偽りがない」と言われました。ナタナエルは聖 書に「救い主がナザレから出る」という預言はないではないかと言ったのです が、その言葉をイエス様は正直で正しい答えだと評価されたのでした。 初対面なのに「どうして私をご存じなのですか」とナタナエルは尋ねました。 イエス様は「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の 下にいるのを見たのです」と答えられます。キリストに見られている、神に知 られているということは、私たちがキリストを見ている、神を知っているとい うことに勝って意義深いことです。それは大きな安心をもたらします。 祝福を祈ります。 http://www.sam.hi-ho.ne.jp/hamano