今日の聖句 2月21日(月) わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計 ることは、初めから悪であるからだ。 創世記8章21節 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた 方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていて くださるのです。 ローマ8:34 ******************************** ピリピ人への手紙3章12節13節14節 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕 らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イ エスが私を捕らえてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえた などと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのも のを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召 してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 「きよい生き方」 パウロはキリストの内に生活する者としての自覚を持っていました。毎日毎日本気 になってキリストを追い求める姿勢を貫いた人でした。うしろのものを忘れ、ひた むきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神 の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っていた人生でした。 彼は自分のユダヤ人という立場もローマの市民権を持っているという立場も、学歴 も、知識も経験も、キリストを深く知ることのために妨げとなるなら、それらを誇 ることを一切やめて、学ぶ人として、キリストに捉えられた存在としてキリストの 喜ぶ生き方を求めながら、前向きに進んだのです。 それは人が見ていても、いなくても、牢獄の中でさえそうでした。キリストが「主」 であり、自分はそのお方の「しもべ」として生きられる喜びを彼は決して失ってい ませんでした。これがきよい生き方というものです。 15節で「成人である者はみな、このような考え方をしましょう」と呼びかけてピリ ピの教会にも読者である私たちにも「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに 向かって進む」「目標を目ざして一心に走る」姿勢を促しています。 祝福を祈ります。