今日の聖句 2月16日(水) こうして彼(ヨセフ)は監獄にいた。しかし、主はヨセフとともにおられ・・た。 創世記39:20-21 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 ヨハネ1:5 ***************************** ピリピ人への手紙1章20節21節 私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生き るにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされる ことを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。私にとっては、生きる ことはキリスト、死ぬこともまた益です。 「獄中のパウロ」 獄に捉えられているパウロの心には常に喜びの念があったようです。パウロの投獄 を喜んでいる人もいるし、福音を伝えるのに自分の利益だけを求めて活動をしてい る人もいることを知っていながら、パウロは「とにかくキリストが伝えられている のだから、私はそれを喜んでいる」と書いています。 自分のいのち、そのものが、すでにキリストに属しており、生きていられれば、獄 にいようと自由になっていようとそれだけでキリストの何かが表明され、表現され ることなので、うれしいと感じているようです。状況のいかんにかかわらず、キリ ストのいのちに覆われて生きているという感覚でしょうか。 「 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」と書いてい ますが、ここでの死は獄中での死であり、それは信仰上のことで獄にいることがは っきりしているので、キリストを証することになるわけです。生きているなら人々 に励ましの手紙を書いたりできるわけです。生きるにしても死ぬにしても、存在に 意義があることをパウロは自覚しています。 そこにパウロのしたたかなまでの強さがあるように思います。獄中にあっても、状 況を受け入れ、キリストを身近に感じながら、仲間のために祈り、手紙で叱咤激励 しながら生きている使徒パウロ。積極的な生き方だなと思います。私たちにとって、 自分の状況を受け入れるが難しいことがありますが、キリストが全部を知っていて くださり、しかも、同伴してくださっていることを認めることができると少し気持 ちが軽くなるかもしれません。 祝福を祈ります。