今日の聖句 1月26日(水)

わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。
ゼカリヤ12:10

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たち
はどうしたらよいでしょうか。」と言った。
使徒2:37

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ガラテヤ人への手紙5章16節17節18節

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させ
るようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に
逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分の
したいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるな
ら、あなたがたは律法の下にはいません。

「御霊によって」

「肉の欲望を満足させる生き方」と「霊の導きに従って歩む生き方」とが対比され
て書かれています。極度に自分勝手な欲望が主役の生き方と、聖霊による促しを意
識しながらの生き方との間には質的な違いができてしまいます。

私たちは、自分でわかっていながら愚かなことをしがちです。知らないわけではな
いし、止めることができないわけでもないのに、自分勝手な欲求や欲望に翻弄され
てしまう自分がどこかにいるような気がします。パウロは私たちはキリストの十字
架にそれらのすべてを掛けてしまったのだと教えています。

神を信頼し、聖霊による導きを求めることで、判断に神の心や神の期待が反映され
るようになってきます。そして、それが私たちにとって極めて自然な生き方になっ
てくるのです。聖霊に満たされるようにという祈りが必要なのです。捨てても捨て
ても私たちの肉性は頭をもたげてきます。自動的に聖霊に満たされ続ける状況の中
に居続けることはできないのです。

霊の導きに従うとは、自分の存在とキリストの十字架の意味を考えること、自分の
生活の状況の中にキリストの教えを思い出してみること、キリストの愛の中に自分
をすっぽり隠すことなどによって促される思いと考えることができます。

祝福を祈ります。