今日の聖句 1月18日(火) 私に御顔を向け、私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与え あなたのはしための子をお救いください。 詩篇86:16 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなた がたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここ からあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにで きないことはありません。 マタイ17:20 *********************************** ガラテヤ人への手紙2章20節 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているの ではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあ って生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御 子を信じる信仰によっているのです。 「私はキリストとともに十字架につけられました」 ガラテヤ人への手紙の中で良く知られている言葉だと思います。自分の努 力や頑張りで律法を守り抜き、その褒美として救いを手に入れるという考 えは間違っているとパウロは力説しています。その方法ではだれひとり神 を満足させることができず、誰も「義とされない」のだと言います。 キリストが十字架の上で犠牲となって罪の代価を支払ってくださったこと を信頼することでこそ、救いは届くのです。キリストの十字架の出来事と 自分自身を合致させ、そこで自分も神からの裁きをキリストと一緒に通過 したのだと信じ、断定することで、よみがえられたキリストが私のうちに 生き、救いが恵みとして届くのです。 律法を守り抜く努力は悪いことではないのですが、それによって神の救い を得るという考えには無理があるのだとパウロは語るのです。後の章に紹 介されているのですが、律法は私たちが自分で完全に実行し尽くすことが できず、救い主を必要とすることをわからせる意味をもっているのです。 キリストが十字架にかけられた時、わたしも一緒に律法によって断罪され 一緒に神の裁きを通過し、死を通過し、キリストのよみがえりの命の中で 一緒に生かしてもらえるようにされたと信じるのです。 祝福を祈ります。