今日の聖句12月4日(土) あなたは私の助けです。私を見放さないでください。見捨てないでください。私の 救いの神。 詩篇27:9 すべての人を救う神の恵みが現われ・・・・たからです。 テトス2:11-13 ***************************** コリント人への手紙第二3章16節17節18節 人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主 の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけら れて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたち に姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 「心のおおい」 モーセが顔の覆いをつけたのは一時的な出来事だったのですが、人々の意識の中に は、契約の書が読まれるときには、覆いをつけるべきだという考えが育ってしまっ ていたようです。つまり、そこに栄光は存在しないのに、まるでそこに神秘がある かのような意識、そこに救いがあるという意識をもっているわけです。 パウロは、律法の行いによって救われると考えている人たちのことを「心に覆いが 掛かっている」と指摘しています。律法に向き合って覆い掛けてしまっていますか ら、いつまでたっても本当の自由を味わうことができないのです。ぼんやりとしか、 実体が見えてこないのです。 キリストが来てくださったことにより、その覆いは取り除かれました。イエス様が 十字架の死を遂げた時に神殿の幕が割けたように、キリストは、神様との交流を自 由にしてくださったのです。私たちがキリストを通して神を礼拝するとき、心の覆 いを取り除かれて、主の栄光を映しながら、主に似た者と変えられていくのです。 律法主義の中にまい進しても、ぼんやりとしか神の心は見えてこないけれど、主を 信頼し、主を礼拝することができると、もっと直接的に主との自由な関係を経験す ることができるようになるだということです。書物ではなく、主に向かえというこ とになります。聖書の言葉は私たちを主に向かわせるためのガイドラインです。 祝福を祈ります。