今日の聖句11月6日(土) 私たちの神の前でへりくだり、私たちのために、私たちの子どもたちと、私たちの すべての持ち物のために、道中の無事を神に願い求めるためであった。 エズラ8:21 「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か 足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」 ルカ22:35 ***************************** コリント人への手紙第一15章20節21節22節 今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。という のは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来た からです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストに よってすべての人が生かされるからです。 「キリストの復活の意義」 キリストが復活したということは、単に肉体が死んで蘇生するということが重要な わけではないのです。それまで、最初の人アダムせいで「死」に閉じ込められてい た人間が、キリストのお陰で「いのち」を得るということだからです。きわめて重 要な神学的な意味が込められているのです。 最初の人アダムによってすべての人に死がもたらされるようになったのですが、キ リストによって、すべての人が「生かされる」ことになるのです。人間の総代表の ようなアダムの罪のせいで、私たちは「死」から逃れることができなくなっていた のですが、キリストによって、私たちは「いのち」の中に入れられているのです。 パウロは人間を、アダムに属したままの状態の人と、キリストに属している人と分 けて考えています。アダムは死を象徴し、キリストはいのちを象徴しています。問 題は、アダムのせいで死がもたらされ、絶望的だった私たち人間に対して、神はキ リストを遣わし、アダムと同じ影響力をもった存在として、死を打ち破り、いのち の中に私たちを招き入れてくださったのです。 キリストが来られる前の私たちは、アダムに属す状態だったのですが、キリストが 来られてから私たちはキリストに属す存在として神は見てくださるのです。それを 自覚し、感謝し、礼拝しながら生きることこそ、人間本来の生き方に通じるのです。 祝福を祈ります。