今日の聖句11月5日(金) 女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。 ネヘミヤ12:43 群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。 ルカ13:17 ***************************** コリント人への手紙第一15章13節14節15節 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。そして、 キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あ なたがたの信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神につ いて偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活 はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神 がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。 「死者の復活」 コリントの教会の中に「死者の復活などない」と考え。それを主張している人た ちがいたようです。パウロは、神は死を完全に支配しており、死は必ず乗り越え られるものとして教えています。神の前で、私たち人間の肉体の死は、すべての 終わりではないのだとパウロは主張しているのです。 キリストの十字架の死を事実として信じることは難しくはありません。人は誰で も死ぬからです。しかし、初代教会の時代から、キリストは、神の御子であり、 救い主なので「死に束縛されたままではありえない」という信仰がありました。 死に束縛されたままではあり得ないとすれば、よみがえるというシナリオが残り ます。 12使徒でさえ、信じることが難しいものでした。復活のキリストに出会ったと いう女性の報告を聞いても真剣に取り扱っていませんし、そんなことあり得ない と言わんばかりの態度でした。ですから、復活という出来事を信じることは、決 して簡単なことではないのです。 パウロは、自分の歴史の中で、よみがえったキリストと出会い、劇的な信仰の転 換を経験しています。パウロにとっては、否定できない大事な出来事であり、自 分を変えてくださったのは、復活したキリスト以外にいないと信じているのです。 彼にとっては、それ以外を信じることのほうが難しかったかもしれません。 祝福を祈ります。