今日の聖句11月1日(月) 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。 詩篇34:18 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」 彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでし たら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ (すなわち、先生)。」とイエスに言った。 ヨハネ20:15-16 ***************************** コリント人への手紙第一14章34節35節 教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も 言うように、服従しなさい。もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。 教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。 「秩序と平和」 教会内での秩序を守り、混乱をもたらさず、互いにつつしみ深くいるのは、女性ば かりではなく、男性たちにとっても大切なことだと思います。女性だけを「黙らせ る」ことで問題が解決するわけではありません。黙ったほうが良い男性だっている はずだからです。 いずれにしても、この箇所に関しては、男性も女性も、互いに慎み深く接し、おし ゃべりで秩序の混乱をもたらさないようにすべきでしょうという風に理解すべきだ ろうと思います。確かに、ある時期、教会内にとんでもなく勝手なおしゃべりをす る婦人たちがいたのだろうと思います。 しかし、だからといって、女性たち全体を黙らせることが賢明なことなのかどうか 疑わしい気がします。本当にパウロがそういう風に考えたのでしょうか?もしそう だとすれば、パウロは永遠に女性たちに好かれることはないですよね。 ここでの議論は、あくまでも、預言、異言の賜物についてのもので、女性たちのおし ゃべりを止めさせろという議論が入り込む余地はないように思います。思いつきで それを語ったとすれば、ちょっと軽率すぎるようにさえ感じます。ただ、秩序や平 和を保つ意識や慎み深さに関しては、当然あってしかるべきですが…。 祝福を祈ります。