今日の聖句10月28日(木) わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。 エレミヤ31:13 どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すな わち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくだ さった方ご自身が、 2:17 あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがた の心を慰め、強めてくださいますように。 2テサロニケ2:16-17 ***************************** コリント人への手紙第一14章4節5節 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。 私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたが たが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の 徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさってい ます。 「異言」 パウロは「異言」という体験について否定はしていません、いいえ、それどころ か推薦しているのですが、全体の印象としては、理解可能な言葉が語られてこそ、 教会全体の益となるのだという論調になっています。啓示か知識か預言か教えか によって語られなければ役に立たないと語っている通りです。 どちらかと言えば集団の中での異言体験は、霊的な高慢さと結び付きやすい要素 があるのです。それよりも、はっきり分かる言葉で、明確に神の教えや神からの 知識を伝えてくれたほうが教会全体の益となり、その人にとっても大いに益する 物があります。 理解可能な言葉を語ること、これは異言という出来事でなくても、たとえば、説 教でも勧めでも同じように大事な要素です。しかし、これが案外難しいのです。 自分だけにはわかっているつもりでも、相手には何のことかさっぱりわからない ような内容の説教ってありますよね。私もよほど気をつけて読み返すことをしな いと、常にその危険にさらされているような気がします。わかる言葉で語ること、 これは本当に大切なレッスンです。 祝福を祈ります。