今日の聖句10月27日(水) 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたまし いを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 詩篇23:2-3 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむ ことをやめなさい。これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているもので す。しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知って おられます。 ルカ12:29-30 ***************************** コリント人への手紙第一14章1節2節〜4節 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさ い。異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれ も聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。ところが預言する者は、 徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。異言を話 す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。 「愛と預言」 愛を、神の愛、神からの愛こそ追い求めるべきことが語られています。霊的な賜 物として、預言の賜物を熱心に求めるように勧めています。預言する賜物という のは、占い師のように将来を言い当てる能力ではなく、神の言葉を自らが受け取 り、それを吟味し、神様に託されてそれを分かち合うための賜物です。 人と人との関わりの中で、神の言葉を折にかなった形で伝達すること。それは人 の前で自慢するためではなく、聞いた人が励まされ、慰められ、立てあげられる ことを目指す発言になるものです。 説教も本質的には、そういう面がなければなりません。「今日のみことば」の配 信も、神様からの御言葉を土台にして、お互いの立て上げ、励まし、慰めのお役 に立てれば、こんなうれしいことはありません。 異言は、その人と神様との間での出来事なので、人に見せびらかすべきものでは ありません。賜物としてはむしろ、預言の賜物を求めるようにとパウロは勧めま す。そして、それらの賜物の行使に当たって、土台となるべき素地は「愛」なの です。決して、自慢、優越感、などであってはならないのです。 祝福を祈ります。