今日の聖句10月24日(日) 主よ。ご覧ください。私は苦しみ、私のはらわたは煮え返り、私の心は私のうち で転倒しています。 エレミヤ哀歌 1:20 子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがた の罪が赦されたからです。 1ヨハネ2:12 ***************************** コリント人への手紙第一13章4節から8節 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢に なりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした 悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、 すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。 「神の愛」 ここに出てくる「愛」という言葉は、キングジェイムス訳では「チャリティ」と なっています。私たちがよく使っているチャリティの語源です。日本語で「チャ リティ」は「慈善」と訳されますが、それこそが、神様の愛の本質、神様の心の 一番深いところにある意識です。神様の持っている愛、神様が私たちに与えてく ださる愛は、「慈善の心」なのです。相手の最善を願い、相手に対して慈愛を常 に保つ決意と意識、それが愛なのです。 私など最初の「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自 慢せず、高慢になりません。」を読んだだけで、自分の中にはこういう資質はほ とんど無いなと感じます。こんなことを書いていること自体、自慢であり、高慢 なのかもしれません。 しかし、神様の愛は、まさに、こういう愛なのだと確信するからこそ、「神様、 今日も、この慈愛を私に注いでくださってありがとうございます。今日もよろし くお願いします」と祈りながら、前に向かうことができるように思います。 こういう愛をもてるように頑張れというメッセージではなく、神の慈愛はこうい うものであり、それが私たちに向けて届けられているので、礼拝の中でしっかり 受け取り、毎日この愛の中に留まるようにという勧めがここにあるのです。自分 の愛を誇るのは不遜なことだと思います。誇れるとすれば、神の愛です。 祝福を祈ります。