今日の聖句10月22日(金) そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教え ない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。 エレミヤ31:34 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにさ れていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者と なることがわかっています。 1ヨハネ3:2 ***************************** コリント人への手紙第一12章30節31節 みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。み なが解き明かしをするでしょうか。あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求 めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。 「人を労る気持ち」 パウロは神様から賜物を託され、教会の中でさまざまな役割を担っている人たち のことを書きながら、それぞれに役目や賜物が違う人たちが存在することを明ら かにしています。「役割」を果たすための「賜物」に固執することをパウロは戒 めているように感じます。 「あれがしたい」「これを実行したい」という願いは有ってよいのですが、いつ の間にか競争意識や優越感が育ってきてしまうものです。「何かをするための賜 物」という意識よりも、「どう生きるか」ということへの指針をもたらす賜物を 求めるようにとパウロは勧めています。 「何ができるか」ということよりも、「どうあるか」というところに視点を向け させようとしているようです。運転の上手な人が助手席に座ると下手な人につべ こべ文句を言って、雰囲気を曇らす様なこともありますが、そんな場合運転が出 来るよりも、下手な運転で申し訳ないと思っている人を労る気持ちのほうが大事 じゃないですかということです。 いろいろなことができる能力はすばらしいことなのですが、それはそれとして、 できても、できなくても、礼拝者として主を喜び、主に愛されていることを感謝 しながら生きること、そこにこそ人格的な成熟があるように思います。 祝福を祈ります。