今日の聖句10月19日(火) わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をため すように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わた しは「これはわたしの民」と言い、彼らは「主は私の神」と言う。 ゼカリヤ13:9 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われ るものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ば せます。 ヘブル12:11 ********************************************** コリント人への手紙第一12章4節〜7節 さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。奉仕にはい ろいろの種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの種類がありま すが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。しかし、みなの 益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。 「聖霊の賜物」 「賜物」「奉仕」「働き」それぞれが同じ主の霊によって与えられ、全体の益とな るために与えられているとパウロは教えます。ちなみに、「賜物」という言葉は 「カリスマ」という単語ですが、このカリスマは「カリス」すなわち「恵み」と いう言葉を語源としています。 聖餐にあずかることをユーカリステオという言葉で表現しますが「カリス」とい う単語が変形して使われています。つまり、聖霊が与えてくださる賜物は「神の 恵み」を表明し、神の恵みを分かち合うためであり、聖餐は神の恵みを食する場 として理解されているのです。 賜物は、それゆえ、決して自己主張や、自己顕示の道具とされてはいけないので す。「神の恵み」が残るための賜物なのです。それを行使しての働きも同様です。 各自に賜物が与えられているのですが、それを生かすことによって、神の恵みが 広がっていくのです。 賜物はイエスキリストによって与えられた神の愛を運ぶ荷車にたとえられもこと があります。愛が届かず、愛が伝わらなければ賜物が与えられている意味が無く なってしまいます。私たちは与えられた賜物によって大いに神の愛を伝えていく ものでありたいと思います。 祝福を祈ります。