今日の聖句10月8日(金)

水の中にご自分の高殿の梁を置き、雲をご自分の車とし、風の翼に乗って歩かれ
ます。
詩篇104:3 

私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころに
よりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定
められていたのです。それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神
の栄光をほめたたえる者となるためです。
エペソ1:11-12

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コリント人への手紙第一10章20節21節22節

いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊
に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になって
ほしくありません。主の杯と悪霊の杯の両方を飲むことはできないし、主の食卓
と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。それとも、主にねたみを起こさせ
るつもりなのですか。わたしたちは、主より強い者でしょうか。

「悪霊の食卓」

キリストを信じ、キリストの聖餐にあずかる人が、自分はもう完全な者になって
いるからと、安易に偶像礼拝に参加し、そこで振舞われる祭儀的な食事に参加し
てはいけないという警告の言葉が書かれています。パウロはここで、その肉に問
題があるわけではなく、偶像を恐れる必要もないのだけれど、そこにある悪霊の
存在による危険性を語っています。

ただし、これを各自の判断で決めるようにと勧めています。当時の宗教事情と現
代における宗教事情は同じではありません。あまり簡単に今の私たちの生活にお
ける出来事とダブらせることは難しいのですが、キリストに連なる人たちが、安
易に別の宗教の儀式の中にそれらの霊的な側面を見くびって参加することは、主
イエスとの関係よりも悪霊の仲間になってしまうことになるのではないかという
警告がここに書かれています。

それはキリストへの冒涜になるのです。これは、和を尊ぶ日本人にはわかりにく
い考えですが、結婚と考えてみればわかりやすいかもしれません。結婚した場合、
夫と妻以外の人と結びつくことは約束違反であり、不倫ということになります。
神との関係も同じことなのだというのです。

他の宗教を否定する必要はありません。しかし、それらの中に主体的に参加する
ことは、主に対する裏切りになるという感覚です。でも、道で挨拶することはで
き、友達としてかかわることも可能です。しかし、そこには節度が求められます。

祝福を祈ります。