今日の聖句9月13日(月) わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼が になう。 イザヤ53:11 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた 人たちにも平和を宣べられました。私たちは、このキリストによって、両者とも に一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。 エペソ2:17-18 ***************************** コリント人への手紙第一5章6節7節8節 あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種 が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかた まりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種の ないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからで す。ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いた りしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではあり ませんか。 「古いパン種」 聖書注解のコメントでは「古いパン種(発酵した練り粉)が練り粉全体を腐敗さ せる(発酵させる)ように、不品行な者を放置して高ぶるコリント教会の体質は、 やがて教会全体を腐敗させる危険があった。そのような腐敗した体質を取り除い て、きよい群れ(新しい粉の固まり)になるべきである。」とありました。 こういうコメントは正解なのかもしれませんが、問題は、そんなに簡単に他者の 心の内側を特定することも、その人のプライベートな行状について断定すること も容易ではないというところにあります。もし、安易に「古いパン種、悪意と不 正のパン種」のような存在を特定し、排除できると考えて、実行したら、あっと いう間に教会は空っぽになってしまうのではないかと思います。 キリストの十字架による犠牲と愛の教えが心を刺し通し、神の愛に応えて自らを 清く保ちつつ生きようと願う「礼拝者」が整えられ、形成される中で変化が起こ り、進行します。高慢な心が砕かれ、罪から離れ、大切に日常を生きるには、厳 しい規則や罰則強化ではなく、キリストの愛と犠牲を心に留め、感謝する礼拝者 としての真剣な自覚が大切です。 皮肉なことに、牧師が信徒を追い出したという話より、信徒が牧師を追い出した という話のほうが多いような気がします。排除だけでは、解決はありません。十 字架が必要であり、礼拝者としての共同の喜びが大切なのです。 祝福を祈ります。