今日の聖句9月12日(日) その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。 ダニエル7:14 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、 この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとさ れる特権をお与えになった。 ヨハネ1:11 ***************************** コリント人への手紙第一 5章1節2節3節 あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異 邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。 それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行な いをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったの です。私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにい るのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでに さばきました。 「教会の秩序と基準」 パウロは、父の妻を自分の妻とする罪が行われていることを伝え聞きました。こ れは性的にルーズだったギリシヤ世界でさえも禁じられていた罪でした。そうい うことが知識を誇りにしていたコリントの教会の中になんの咎めも罪の指摘もな く容認されていたということについて、パウロは、それはいけないと告げます。 むしろ悲しんでそういう人を除外すべきだと語っています。パウロはすでにそう いう人を裁いてしまっていると書きました。そもそも、罪を悔い改めて、キリス トの十字架による赦しを得た上での受洗となるべきなのです。 破門が言及されていますが、彼が自分の撒いた種を刈り取り、最終的に神の憐れ みによって救いを味わうことができるようになるためだとパウロは説明していま す。神の憐れみによって救いを求めることができるようにという配慮がありまし た。 不品行の罪を悲しみ、その人が悔い改めることを願いつつ、教会の交わりから除 外することは、教会の秩序と基準を保つために必要な措置なのだと考えられます。 キリストによる罪の赦しは、私たちに秩序と基準を教えてくれるものです。何を やってもかまわないという生き方を継続するとしたら、キリストの痛みと愛を知 らないということになるのです。 祝福を祈ります。