今日の聖句9月4日(土) 「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」 ゼカリヤ3:4 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしな いのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさ え、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。しかし、きょうは 野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださる のです。 ルカ12:27-28 ***************************** コリント人への手紙第一3章18節19節 だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者 だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。 なぜなら、この 世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者 どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」 「愚かになりなさい」 愚かになるとか、世の知恵は神の前では愚かであるとか、断定的な言い方をパウ ロはしていますが、これは一章にある言葉を思い起こし、そこに戻そうとするた めです。 「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たち には、神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の 知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」(1:18-19) 世の人には愚かに思える十字架のことば、キリストの十字架の出来事に信頼を寄 せることこそ、知恵の出発点なのだというわけです。そこに神の知恵が隠されて いるからです。 私たちが十字架のことばを思い出すときに、心は信仰と謙遜に復帰します。キリ ストの十字架の身代わりの死が、私たちの救いといのちの原点なのだということ がよく分かります。今日も十字架を見上げ、十字架に頼って生きていきましょう。 祝福を祈ります。