今日の聖句9月2日(木) 主は私とともにあって、横暴な勇士のようです。 エレミヤ 20:11 「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。 わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。・・・」 黙示録1:17-18 ************************ コリント人への手紙第一3章11節 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を 据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建て るなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするの です。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人 の働きの真価をためすからです。 「神からの評価」 パウロは「教会」について、土台はイエスキリストだと主張しています。 それ以外のものが土台になることはないのです。そして教会は、人間 による評価ではなく、神からの評価を受ける日があるのだと語ります。 それは終わりの日に起こる「火」によるテストによっての評価です。です から、キリストを土台にその福音が語られ、人々が集められ、その教え と整えがまるで金、銀、宝石、木、草、わらのように「差」が出てきてし まうのですが、それがはっきりわかるのは、終わりの日なのです。 キリストを土台に据えてから、どういうものを積み上げているのか、時々 考えてみる必要がありそうです。金、銀、宝石の特徴は純粋性に在ると 思います。高価であるというよりも混じりけのなさに価値があります。 純粋な信仰、純粋な愛は火の試練に耐えうるものであると思います。私 たちの教会や私たちの信仰生活もそういう火の試練に耐えられるように 建てあげていきたいものです。 祝福を祈ります。