今日の聖句8月24日(火) 主はとこしえまでも統べ治められる。 出エジプト15:18 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエス は答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、 真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属 する者はみな、わたしの声に聞き従います。 ヨハネ18:37 ***************************** コリント人への手紙第一2章4節5節 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけら れた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。あなたがたといっしょ にいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の 宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と 御力の現われでした。 「御霊と御力」 パウロは、神の人間に対する秘められた計画、すなわち「十字架につけられたキ リスト」による救いを伝えることを役目と信じています。しかし、体調の悪さや 状況的な不安もあり、自分で考え出した哲学や説得方法ではなく、御霊と御力に よって「キリストご自身」を伝えることを決意しています。 パウロの決意は、イエス・キリストについての説明ではなく、キリスト御自身と その十字架の出来事を伝えようというものでした。キリストについてどんなに説 明を受けても、それが心にストンと落ちるためには御霊と御力の働きがなければ 無理なのだということをパウロは自覚しています。 実際、伝道してみると、私たち伝道者が伝道したから、聞いた人が救われたとい うのではなく、イエス・キリストが贖いの死を遂げたから救われるのであり、そ れを、御霊が聞いた人の心に届けるので、救われるのだということがよく分かり ます。 福音が「自分にとっての出来事」として心に届いたとき、それはもはや「お話」 ではなく、自分の人生を変えるほどの大事件となります。福音が「キリストにつ いてのお話」から「イエス・キリスト御自身」の啓示とそれに対する応答という 形を取るためには、神の力が必要だとパウロは表明しているのです。 祝福を祈ります。