今日の聖句8月19日(木) 打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つ ばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。 イザヤ50:6 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。 ルカ6:28 ***************************** コリント人への手紙第一1章17節 キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、 福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならない ために、ことばの知恵によってはならないのです。 「十字架がむなしくならないため」 パウロは、自分のことを「バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝える ため」にコリントに行ったのであり、また「キリストの十字架」こそ、パウロが 語りたいと願っている中心的なテーマなのだというのです。そのことのために 「ことばの知恵によらない」伝達をパウロが願っていたことがわかります。 ことばの知恵とは、いろいろな言い回しで「ある事柄について」語ることだと思 います。パウロは、十字架についての説明ではなく、自分にとっての「イエス様 の十字架」を語ろうとしているのです。十字架についての情報ではなく、自分に とっての十字架の出来事の意味をパウロは伝えようとしています。十字架と福音 は同じです。 十字架の物語をくり返し語ると、人々は初めは興味を持って聞くのですが、一通 り聞き終わると、次は、「又か」という反応が出てくる場合があります。聞いた た人が、新しく生まれ変わるということを経験しないときにはそうなりかねませ ん。言葉での説明だけだと、十字架がむなしくなってしまうのです。 パウロは使徒の働きの中で、強い光を受けて「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫 害するのか。という声を聞いた。」と言い、キリストを迫害するものから、キリ ストの十字架を証しするものに生まれ変わらされたことを3回も語っています。 福音宣教は人を新しく生まれ変わらせていく、聖霊様のお働きなのです。 祝福を祈ります。