今日の聖句8月18日(水) 私の神、主よ。私はあなたのもとに身を避けました。 詩篇7:1 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイ11:28 ********************************* コリント人への手紙第一1章10節〜12節 兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがた にお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心 同じ判断を完全に保ってください。実はあなたがたのことをクロエの家の者 から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、あ なたがたはめいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私は ケパに。」「私はキリストにつく。」と言っているということです。 「4分派」 コリントの教会の中には4つの派があって、それぞれ相手を見下していたよ うです。パウロ派、アポロ派、ケパ(ペテロ)派、そしてキリスト派の4派 です。キリスト派とは、いわゆる使徒的な教えを排除し、キリストとの直接 的、神秘的な関わりを強調するグループだったようです。 教会の中で指導者に対する相性というのは人間ですからある程度やむをえな いことかもしれません。ただ、それが、その指導者とその指導者を尊敬して いる人たちへの非難や排斥にならないようにとパウロは訴えているのです。 勝手なことを言わず、仲たがいせず、心をひとつにするようにと呼びかけて います。 そのために、十字架と洗礼のなかに見られる「キリストの愛」と「キリスト への愛」をもって互いに親しむようにと訴えているのです。パウロが十字架 についたわけではないし、パウロに属するために洗礼を受けたわけではない のだから「この指導者、いのち」という関わりを持ってはならないのだとパ ウロは「パウロ派」と称していた人たちを例にあげて戒めています。 パウロを通して語られたイエス・キリストに結びつき、ペトロが教えたイエ ス・キリストに結びつくのです。とはいえ、その教えをもたらした指導者へ の尊敬は良いことなのですが、その指導者の権威とイエス・キリストの権威 を同等のものにしてはならないのです。指導者に対し「兄弟としての尊敬」 があれば、それで十分です。 祝福を祈ります。