今日の聖句9月30日(水)\(^o^)/ あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自分を示してくださいます。 2歴代誌15:2 ヨハ,4:26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」 ************** 今週のテーマ:目を覚ましている きょうの聖書:マタイ26:36-46 マタイの福音書26章37節38節39節 ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」 「目をさましていなさい。」 これは有名なイエス様のゲッセマネの祈りです。最後の晩餐を終えた後です。イエス様はご自分と「悲しみ、苦しみ」を共有して祈ってくれる祈りの友を求めておられるのです。今夜、襲ってくる「つまずく」誘惑に陥らないよう祈っていなさいと指導もしています。それほどの状況の中でもキリストの警告と約束を自分に当てはめない呑気なクリスチャンは眠ってしまうのです。 「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」というイエス様の苦祷が記されています。旧約聖書で使われる「杯」はすべて神の怒りと審判に限られています。イエス様は正真正銘の人間です。死に反発し、死を本能的に拒否する当たり前の人間です。その上全く無罪です。そのイエス様の頭上に神の怒りの杯が炸裂しようとしているのです。 「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」「できますならば」「できますならば」「できますならば」と3回くり返して助けを求め、最後には「みこころのように、なさってください。」と委ねて祈り終わります。 イエス様は初めから「この杯」を飲むつもりでした。ただそれを父の命令だから、嫌々ながら飲むというのでなく、本当に従順に飲めるように祈りの戦いを戦ったのがゲッセマネの祈りでした。こうしてイエス様は十字架に向かって足を踏み出していく勇気と力を勝ち取ったのです。 祝福を祈ります。