今日の聖句8月21日(金)\(^o^)/ 主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンに入り、その頭には、とこしえの喜びを戴く。楽しみと喜びがついて来て、悲しみと嘆きは逃げ去る。 イザヤ51:11 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。 1ペテロ1:8 ************* 今週のテーマ:公平と正義 きょうの聖書:アモス5:6-15 アモス書5章14節15節 善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、ともにいてくださる。悪を憎み、善を愛し門で正しいさばきを行え。もしかすると、万軍の神、主はヨセフの残りの者をあわれんでくださるかもしれない。 「善を求めよ」 アモスは北イスラエルでB.C.780年ころからB.C.740年ころまで活動した預言者です。同時期にはホセアやヨナがいました。ヨセフとは北イスラエル王国を指しています。アモス5:6-15は形だけの儀式礼拝から離れ、社会的弱者を虐げる不義を改めて「主を求め、善を愛する」ようにイスラエルの民に強く迫っています。 それが預言者アモスの告発と招きの中心部分です。当時の北イスラエルは物質的な繁栄に酔っていましたが、裏では貧しい人々が踏みにじられていました。アモス書5章14節15節は日常生活での「正義と善」の実践こそが神に生きる道であると迫る、預言者アモスの中心的なメッセージです。 善を求め、悪を避ける生き方が必要です。生死の分かれ道は、形だけの礼拝ではなく、具体的な道徳的・倫理的な「善」を選ぶことにあります。善を求めることは主を求めることそのものであり、神の心を自らの生き方に反映させることです。信仰には実質がなければなりません。 自分の力で神を動かすのではなく、悪を憎み、裁判を正しく行うことで、神様が残りの民をあわれんでくださる可能性あるとされています。それは神様の憐れみにすがることです。罪のために前途を失うものは罪を悔い改めて正しい信仰に向けて出直すだけが残された道なのです。アモ亡きあと20年で北イスラエルはアッシリヤによって滅ぼされてしまいました。 祝福を祈ります。