今日の聖句7月25日(土)\(^o^)/ みなし子の父やもめのためのさばき人は聖なる住まいにおられる神。神は孤独な者を家に住まわせ捕らわれ人を歓喜の歌声とともに導き出される。 詩篇68:5-6 私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。 2コリント1:3 ************* 今週のテーマ:主を喜ぶ きょうの聖書:ピリピ2:12-18 ピリピ人への手紙2章16節17節18節 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。 「一緒に喜ぶ」 ピリピ2章12節~18節にパウロのピリピの人たちへの励ましの言葉を書いています。そして、日々の生活の中で心を主に向け、礼拝の心を持ちながら生きるべきこと、不平や不満を言わずに自分の果たすべきことを丁寧に実行すべきことを勧めています。 また、パウロは自分自身のいのちが処刑され、死を迎えるとしても、生き残っている礼拝者と一緒の心でその場を迎えるので、自分の死を喜んで受け入れることを告白しています。パウロにとっては、いのちも死も主から託された役割を果たす為のものなので、どちらにせよ、彼は喜んでいるのです。 パウロは自分の喜びをピリピの人たちと分かち合おうとしています。長寿を全うして死を迎えることができるなら、それは主がその時まで生かして下さったわけですから、主を賛美し感謝を捧げることは良いことです。しかし、途中で迫害にあい、殉教することになった場合、そこまでの人生を主は彼に恵みを生きるように託し、それを果たしたわけですから、それはそれで人生を喜べることになります。 もちろん、人間的には、さびしいし、悲しいし、つらいので、若くして殉教などしてほしくないですが、パウロは、私はここまでの主に託された人生を走りぬいてきたので、仮に死が近くにあるとしても、なすべきことをやったので、喜んでいます。だから一緒に喜んでくださいと勧めているのです。 祝福を祈ります。