今日の聖句6月22日(月)\(^o^)/ 主はこう言われる。わたしは、あなたの若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれていなかった地、荒野でのわたしへの従順を覚えている。 エレミヤ2:2 私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。 ヘブル 3:14 ************* 今週のテーマ:互いに徳を高める きょうの聖書:1コリント14:6-19 コリント人への手紙第一14章18節19節 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言で語っていることを、神に感謝しています。しかし教会では、異言で一万のことばを語るよりむしろ、ほかの人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。 「教会内での異言」 異言とは歌を歌うとき歌詞を忘れると「ラ~ラ~ラ~」のようにメロディだけでハミングするのに似ています。パウロは異言の賜物を否定してはいないのですが、それを行使することで、自分がほめられたり、持ち上げられたりするためではなく、「教会の徳が高められ」「教会が造り上げられる」のに有益であるようにと教えています。 パウロは教会内での「異言」の問題について、丁寧に、説明を続けています。自分の語っている言葉を自分で理解も判別もできない「異言」とは、それがどんなに長く継続しても、それは教会の益とはならず、むしろ、教会にやってきた信仰の浅い人や信者でない人たちにとっては「つまづき」になる可能性があるのだとパウロは言います。 しかし、「預言」の賜物が行使され、神に託されたメッセージを含む言葉が理解可能な形で提示されたら、人々は悔い改めたり、礼拝の心が起こったりするようになります。教会においては、理性で判別できる「教え」こそ重要なものだというのがこの段落の結論です。 パウロは教会に集まる人たちの「つまずき」となるものを置かず、悔い改めや礼拝の心が培われるような状況をしっかり維持する努力をコリントの人たちに求めているのです。五つの言葉とは、スピーチは異言を長々と唱えるより理性に訴えかける「少数のわかりやすい言葉」という意味です。 祝福を祈ります。