今日の聖句5月9日(土)\(^o^)/ わたしはあなたがたを救う。あなたがたは祝福となる。恐れるな。勇気を出せ。 ゼカリヤ8:13 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。 2コリント1:4 ************* 今週のテーマ:主のいましめ きょうの聖書:ガラテヤ3:15-20 ガラテヤ人への手紙3章17節18節 私の言おうとしていることは、こうです。先に神によって結ばれた契約を、その後四百三十年たってできた律法が無効にし、その約束を破棄することはありません。相続がもし律法によるなら、もはやそれは約束によるのではありません。しかし、神は約束を通して、アブラハムに相続の恵みを下さったのです。 「祝福の約束」 パウロは「神様からの祝福の約束」は遺言のようなもので、最終的には何も付け加えられることなく、その通りに実行されるものだと語ります。神様はアブラハムに子孫への祝福、多くの民への祝福を約束されました。それは契約として制定されました。 その約束の制定後、400年以上たってから造られた律法は、祝福の約束(契約)に代わるものではないのだというわけです。アブラハムと子孫への祝福は神様の約束であり、律法を守ることによってもたらされるものではないのです。立法は契約が結ばれた後で付け足されているからです。 実は、その祝福の約束はキリストが私たちにまでもたらしてくださいました。キリストが遣わされて十字架で裁かれ、私たちへの律法の要求を満たし、相続の妨げを取り除いてくださったのです。ここに祝福と救いの原点があります。私たちの救いは神様が計画して神様が成就してくださったのです。 それでは、律法の役割は何か?パウロはそれについて「私たちの違反を明らかにするために付け加えられたもの」だと語ります。つまり、律法は私たちを罪の自覚の中に閉じ込め、私たちにキリストが必要であることを悟らせるためのものなのです。律法自体が私たちの救いをもたらすものではないのです。 祝福を祈ります。