今日の聖句5月1日(金)\(^o^)/ あなたはただ、わたしを恐れ、戒めを受け入れよ。 ゼパニヤ3:7 主よ、あなたを恐れず、御名をあがめない者がいるでしょうか。 黙示録15:4 ************* 今週のテーマ:キリストの主権 きょうの聖書:マラキ2:1-9 マラキ書2章5節6節7節 わたしの、彼との契約は、いのちと平安であった。わたしはそれらを彼に与えた。それは恐れであったので、彼はわたしを恐れ、わたしの名の前に、おののいた。彼の口には真理のみおしえがあり、彼の唇には不正がなかった。平和と公平さのうちに、彼はわたしとともに歩み、多くの者を不義から立ち返らせた。祭司の唇は知識を守り、人々は彼の口からみおしえを求める。彼が万軍の主の使いだからだ。 「礼拝の回復」 ここに理想の祭司像が述べられています。「いのちと平安」は、直訳すると「彼とわたしの契約はいのちと平和である」となります。神様はイスラエルに「いのちと平安」を与えます。イスラエルの応答は「わたしを畏れ」ることでなければなりません。 神様とレビ人との契約は、対等ではないのです。契約の主体は、どこまでも主権者である神様です。神様に仕えるレビ人は、契約の対象であるにすぎません。だから、神様がレビ人との「契約」をもたれるのです。契約において、神様から与えられる「いのちと平安」は、レビの側に「畏れ」をもたらします。 それは、信仰であって、義務ではありません。「信仰」のない義務による「畏れ」は、形式的に、しかも歪められた形で「祭儀」を守ることはできるかもしれませんが、喜びと献身による「礼拝」とはならないのです。だから、5節の「彼はわたしを恐れ、わたしの名の前に、おののいた」は、信仰の礼拝のあり方を教える大切な言葉です。 6−7節には、レビ人(祭司)の役割が語られています。「彼の口」と「唇」とが、繰り返し強調されています。単純に過去の良き時代の祭司の姿が、回顧されています。礼拝の中で、祭司の本来のつとめが、神に関する知識を守り、教える人として「主の使者」である、と告げるこの言葉には 重い意味があります。バビロンから帰還した民と再使徒たちは真の礼拝が回復しなければならないのです。 祝福を祈ります。