今日の聖句4月19日(日)\(^o^)/ わたしは失われたものを捜し、追いやられたものを連れ戻し、傷ついたものを介抱し、病気のものを力づける。 エゼキエル34:16 あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。 1ペテロ 2:25 ************* 今週のテーマ:キリストに生きる きょうの聖書:ガラテヤ6:11-18 ガラテヤ人への手紙6章14節15節16節 私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが、決してあってはなりません。この十字架につけられて、世は私に対して死に、私も世に対して死にました。割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。この基準にしたがって進む人々の上に、そして神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。 「新しい創造」 割礼を強要している人たちは、信仰的な理由によるというよりも、人を恐れ、迫害されたくないだけのことで無理やり割礼を受けさせようとしているのだとパウロは指摘しています。しかし、その行為が救い主の恵みを台無しにしてしまうものだとパウロは判断しています。 パウロはこの手紙の終わり14節で「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。」と宣言しています。 これは、十字架によって贖われたという事は、人を恐れる生き方ではなく、キリストの赦しといのちに覆われて、何も怖がることなく生きられるようにされたのだという、パウロの教えです。罪が怖れを生み出すので、薩美が解決されれば何の問題もなくなるのです。 17節に「イエスの焼印」という言葉が出てきていますが、これはキリストに所属させられた、キリストに所有されている存在だという意味です。自分はキリストにとらえられ、所属させられているのだから、そのお方のなさったことだけを信頼すれば十分なのだというわけです。これは割礼を大きくしのぐ確かな証しです。 祝福を祈ります。