今日の聖句4月15日(水)\(^o^)/ 地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。 1列王記 19:12 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。 ヨハネ1:18 ************* 今週のテーマ:復活の福音 きょうの聖書:ガラテヤ2:19-21 ガラテヤ人への手紙2章19節20節21節 私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。 「キリストが生きる」 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」この言葉は良く知られている言葉です。自分の努力や頑張りで律法を守り抜き、その褒美として救いを手に入れるという考えは間違っています。その方法ではだれひとり神様を満足させることができず、誰も「義とされない」のです。 キリストが十字架の上で犠牲となって罪の代価を支払ってくださったことを信頼することで救われるのです。キリストの十字架の出来事と自分自身を合致させ、そこで自分も神様からの裁きをキリストと一緒に受けたのだと信じ、断定することで、よみがえられたキリストが私のうちに生き、救いが恵みとして届くのです。 律法を守り抜く努力は悪いことではないのですが、それによって救いを得るという考えには無理があるのです。律法を完全に守ることはできないからです。後の章に紹介されているのですが、律法は私たちが自分で完全に実行し尽くすことができず、救い主を必要とすることをわからせる意味をもっているのです。 キリストが十字架にかけられた時、わたしも一緒に律法によって断罪され一緒に神様の裁きを受け、死を通過し、キリストのよみがえりの命の中で一緒に生かしてもらえるようにされたと信じるのです。よみがえったキリストが私のうちに生きておられるのです。これほど素晴らしい恵みはありません。 祝福を祈ります。