今日の聖句3月15日(日)\(^o^)/ 神には、助ける力も、つまずかせる力もあるからです。 2歴代誌 二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。 マタイ10:29 ************* 今週のテーマ:耐え忍ぶ きょうの聖書:2コリント1:3-7 コリント人への手紙1章4節5節6節 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。私たちが苦しみにあうとすれば、それはあなたがたの慰めと救いのためです。私たちが慰めを受けるとすれば、それもあなたがたの慰めのためです。その慰めは、私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えてくれます。 「慰めの神」 この手紙の本論に入る前にパウロは、「豊かな慰めを与えてくださる神」について語り、自分が受けている苦難と神の慰めのお陰で、他の苦しむ人たちを慰めることができるようにされているのだと感謝しています。つらいことを経験した人は同じようにつらい立場にいる人を慰めることができるのです。 パウロはこれらの苦難の経験と慰める行動とを「教会全体」の出来事として気付かせようとしています。「私の」と言わず「私たちの」と言っていることでそれを推察することができます。15年前3.11のとき東北が大きな被害を受けたのですが、あの時、私は自分の体の半分が奪われたという悲しみを感じました。3.11は私たちの苦しみだったのです。 キリストを知ることで、キリストのもたらす慰めを豊かに知ることができるようになるのです。直接的には罪の赦しを共有することです。赦された人が他の人を赦せるようになるのです。それで人に寄り添う心も育てられるようになるのです。3節から6節までに8回も「慰め」という言葉を書いています。 私たちの暮らしの中で「慰め」の言葉を捜すのが難しいときがあります。うっかりしたことを言えば、それは慰めではなく、叱責の言葉になってしまうこともあります。気をつけたいです。私が焦っているときに「先生、大丈夫よ」と言ってくれる人がいます。その声を聴くととても安心できます。キリストを通して慰めが届くことを信じて今日を生きて行こうと思います。 祝福を祈ります。