今日の聖句3月12日(木)\(^o^)/ 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。 イザヤ53:5 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。 ローマ 4:25 ************* 今週のテーマ:十字架をとって きょうの聖書:1コリント4:6-13 コリント人への手紙第一4章6節7節 兄弟たち。私はあなたがたのために、私自身とアポロに当てはめて、以上のことを述べてきました。それは、私たちの例から、「書かれていることを越えない」ことをあなたがたが学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して思い上がることのないようにするためです。いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。 「高慢への警告」 パウロは、教えられたことを超えて高慢にならないようにとコリントの信徒に対して忠告を語っています。それぞれが必要な教えを人から無料で受け取ったのだから、自分で犠牲を払って獲得したような態度を取るべきではないと諭しています。私たちはイエス様の憐れみと恵みの中でかろうじて生かされているにすぎません。 私たちが受けたものはほとんどキリストの十字架による賜物です。御父は贖いを為し遂げた御子に一切の権威を与えられました。御子イエス様は御国の王となり万物の所有権、全世界の支配権、最終決定権をお持ちです。ところがコリント教会は自分が王ででもあるかのようにふるまったのです。 その御子イエス様を差し置いて、誰も裁くことはできず、人を支配することも、ましてや教会を支配することなどはもってのほかといわなければならないことです。他人を裁くことは大きな罪なのです。パウロは8節でコリントの信徒たちが偽王になっていると指摘しています。 ほとんど受け売りの知識しか持っていないのに、知識や体験を誇り、人を見下した態度を取るなら、そこにはキリストのすがすがしさも、愛も残りません。みことばの前に謙遜に生きることが第一です。足りないことはあっても謙遜すぎることはありません。 祝福を祈ります。