今日の聖句3月11日(水)\(^o^)/ 私のたましいはあなたの救いを慕って絶え入るばかりです。私はあなたのみことばを待ち望んでいます。 詩篇119:81 夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れて来た。イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。 マタイ 8:16 ************** 今週のテーマ:十字架をとって きょうの聖書:1ペテロ2:18-25 ペテロの手紙第一2章23節24節25節 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。 「残された模範」 18節からのペテロの手紙のこのくだりは「しもべたちよ」という呼びかけで始まっています。しもべとは主人に仕える人です。「敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい」と教えられています。しもべが罪悪を行って処罰を受けるのは当たり前です。 しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。ここにクリスチャンとして主人に仕えるしもべの値打ちがあるのです。イエス様もののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 そればかりか、私たちの罪を一身に背負って十字架にかかり、私たちの代わりに神様の刑罰を受けてくださったのです。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためでした。イエス様は私たちのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、私たちに模範を残してくださったのです。 イエス様の十字架を見上げながら生きることによって私たちは信仰の養いを受けられます。毎朝イエス様の十字架に帰り、そこから一日の生活を始めます。十字架から離れたら私たちは糸の切れた凧のように吹き飛ばされてしまいます。イエス様の十字架が神様の愛そのものだからです。 祝福を祈ります。