今日の聖句2月28日(土)\(^o^)/ ああ、あなたがたは物を逆さに考えている。陶器師を粘土と同じに見なしてよいだろうか。造られた者がそれを造った者に「彼は私を造らなかった」と言い、陶器が陶器師に「彼にはわきまえがない」と言えるだろうか。 イザヤ 29:16 実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。 エペソ 2:10 ************* 今週のテーマ:悔い改め きょうの聖書:マタイ616-18 マタイの福音書6章16節17節 あなたがたが断食をするときには、偽善者たちのように暗い顔をしてはいけません。彼らは断食をしていることが人に見えるように、顔をやつれさせるのです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。断食するときは頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人にではなく、隠れたところにおられるあなたの父に見えるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が報いてくださいます。 「真実な信仰」 自分が褒められるための善行が意味のないのと同じように、信仰に熱心であることを吹聴する断食も意味がありません。信仰に不熱心な人が断食をすることもありませんが、断食という行いがあればそれでその人の信仰が十分であるということでもないのです。 断食という苦行は10日あるいは15日ほどの日数が必要です。1週間くらいの絶食では効果は期待出来ません。体重も1s減少するだけで心の変化はほとんど起こらないのです。古代のユダヤ社会では、断食をして髭を剃らないでいれば信仰に厚い人だという評価を得られたのかもしれませんが、そんな人からの間違った評価は無駄です。 神様を信じて信仰生活をしている人は、自分の生活態度や信仰の姿勢というものに気を付けなければなりません。ユダヤ教の偽善的姿勢で生きている人は、その姿勢を食い改めなければならないのです。他の人からの好評価のみを期待して、神様に認められたいという気持ちがないということが問題です。 イエス様はユダヤ教の律法主義、形式主義を厳しく咎めました。私たちクリスチャンの間にも律法主義的信仰や形式主義的信仰が紛れ込んできます。礼拝も祈りも献金さえも、定めだからや形ばかりでのようにならないように気を付けなければなりません。心を込めて神様に向き合う姿勢が必要なのです。この点を考慮して、真心をもって神様に仕え、キリストに従う真実な信仰に徹してゆかなければならないのです。 祝福を祈ります。