今日の聖句2月12日(木)\(^o^)/ わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ。」 イザヤ44:22 あなたがたが知っているとおり、キリストは罪を取り除くために現れたのであり、この方のうちに罪はありません。 1ヨハネ3:5 ************* 今週のテーマ:道をえらぶ きょうの聖書:エゼキエル33:1-20 エゼキエル書33章17節〜20節 あなたの民の者たちは『主の道は公正でない』と言っている。しかし、彼らの道こそ公正ではない。正しい人でも、自分の正しい行いから離れ、不正を行うなら、彼はそのことのゆえに死ぬ。悪しき者でも、自分の悪から離れ、公正と義を行うなら、そのことのゆえに彼は生きる。それでも、あなたがたは『主の道は公正でない』と言う。イスラエルの家よ。わたしはあなたがたを、それぞれの生き方にしたがってさばく。」 「赦しを求める」 エゼキエルがこの言葉を語ったのはエルサレムがバビロニャに滅ぼされてから六か月後のことです。ユダの捕囚民はバビロンのケバル川のほとりに集まって生活していました。そこへエルサレムに残っていた人たちがやってきてエルサレムが破壊され悲惨な状態になっていることを告げました。 この33章には「見張り」という言葉が出てきていますが、ケバル川のほとりにいる捕囚民を見張るための見張りであり、神様への反逆者あるいは罪を犯すものがいないかどうかを見張る神様のしもべです。その見張りに選ばれたのはエゼキエルでした。エゼキエルは将来捕囚民がエルサレムに帰還して神の民として復活するという希望を語りつつ、悪から離れよと訴えたのです。 エゼキエルは「正しい人でも、自分の正しい行いから離れ、不正を行うなら、彼はそのことのゆえに死ぬ。悪しき者でも、自分の悪から離れ、公正と義を行うなら、そのことのゆえに彼は生きる」と語って、悔い改めて悪から離れ、神様の憐れみを求めなさいと指導しているのです。 自分の正しさや自分の正義を主張する人はしばしば傲慢不遜になります。イエス様が見ている前で、自分は正しく生きていると言って自慢したパリサイ人と、目を天にも向けず胸をたたいて「この罪びとをお赦しください」と祈った人がいました。イエス様はこの赦しを求めた人が神さまの憐れみを受けましたと言われています。私たちも謙虚に赦しを求めて生きるものでありたいと思います。 祝福を祈ります。