今日の聖句1月24日(土)\(^o^)/ その会衆はわたしの前で堅く立てられる。 エレミヤ30:20 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。 エペソ2:20 ************* 今週のテーマ:解放の約束 きょうの聖書:へブル9:11-15 へブル人への手紙9章13節14節 雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。 「良心のきよめ」 古代のイスラエルでは汚れた人は礼拝することが許可されず、自分の体をきよめてからでなければ礼拝ができませんでした。水で体を洗うという方法と、動物を犠牲にしてその血を振りかけるとか、動物を燃やしてその灰をけがれた人に振りかけてきよめるということをしていました。 実際にそのような行動によってきよめられたと認められて神殿での礼拝が許可されていたのです。しかし、汚れていた人本人は自分がきよめられたとは感じていなかったのです。動物を犠牲にするきよめはキリストが犠牲になって人をきよめるという神様の御業の模型だったのです。 犯罪行為を継続している汚れた人と、善行を継続している汚れた人がいます。前者はわかると思いますが後者はなかなか理解できません。善行を継続している汚れた人とは、自分が行っている行為は良いことだと信じている人です。こういう人は良心が汚れているのです。 それは家庭内でも学校や社会、企業の中にもあります。本人だけが良いこととして周囲の人に迷惑をかけるようなことはよくあることです。へブル書は汚れた良心がきよめられなければならないといい、イエス・キリストが十字架で流した御血潮の注ぎこそが人の良心をきよめてその人を生ける神に仕える者にするのだと教えています。 祝福を祈ります。