今日の聖句1月16日(金)\(^o^)/ 私たちもあなたがたと一緒に行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたから。 ゼカリヤ8:23 私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。 1コリント12:13 ************* 今週のテーマ:諸国民の光 きょうの聖書:2コリント5:16-19 コリント人への手紙第二5章16節17節18節 私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。 「新しく造られた者」 「肉にしたかって人を知ろうとはしません」という言葉は、人間的な標準や外的条件だけで理解しようとは思わないという意味があります。キリストとの出会いは、パウロのキリストに対する見方を一新させました。それまでは、異端的な宗教活動家と捉えていたナザレのイエスが、全く別な存在、主と呼び、礼拝すべきの存在としてパウロに迫ったのです。 パウロは、そのキリストとのつながりを、神の前で新しく創造された者とされるつながりと理解しています。それまでの価値観、それまでの自分自身の存在価値が大きく変えられ、神の前に「新しく造られた者」つまり、神が用意しておられる新しい天と新しい地を受け継ぐのにふさわしい存在として今を生きることができるようにされたのだと言うのです。 これは、パウロの確信であり、これこそ、パウロが必死になって伝えている福音の中心的なメッセージです。誰でもキリストと結ばれるなら、という言葉は、英語では「In Christ」という言葉で表現されています。誰でもキリストとの交わりの中に入れられているいう意味でしょう。 「キリストの中」という領域があるとすれば、その外という領域もあることになりますが、キリストのファミリーに入れてもらえることは幸いなことです。キリストを信頼し「よろしくお願いします」という心だけで入れるのです。私たちは新しく作られたものであり、お互いにお互いを新しく作られたものとして認めあうということです。 祝福を祈ります。