今日の聖句12月9日(火)\(^o^)/ あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。 イザヤ46:4 やもめの中の本当のやもめを大事にしなさい。 1テモテ5:3 ************* 今週のテーマ:主の神殿 きょうの聖書:エレミヤ7:1-15 エレミヤ書7章12節13節14節 シロにあったわたしの住まい、先にわたしの名を住まわせた場所へ行って、わたしの民イスラエルの悪のゆえに、そこでわたしがしたことを見てみよ。今、あなたがたは、これらのことをみな行い─主のことば─わたしがあなたがたに、絶えずしきりに語りかけたのに、あなたがたは聞こうともせず、わたしが呼んだのに、答えもしなかったので、わたしの名がつけられているこの家、あなたがたが頼みとするこの家、また、わたしが、あなたがたと、あなたがたの先祖に与えたこの場所に対して、わたしはシロにしたのと同様のことを行う。 「神の愛のために生きよ」 シロとはエルサレムの北30qほどの位置にあったエフライム族の都でした。そこにイスラエルの礼拝場所である幕屋が設置されていて祭司エリが礼拝の指導をしていました。ところがエリの二人の子どもたちが悪事を行い神様の怒りを買いました。子どもたちはペリシテとの戦いで戦死し、エリもその知らせを聞いて死亡してしまいます。 エリの子どもたちの犯した罪は裁判において収賄しては判決を歪め、また、性犯罪を犯したことや契約の箱を戦場に待ちだすなどを咎められ、エリは子どもたちに警告もせず、正しい生き方を教えず、罪を止めさせなかったことを咎められて死に至りました。これは預言者サムエルの時代に起こった出来事でした。 シロは神様から捨てられ、ダビデの時代になってエルサレムに契約の箱が安置されて礼拝が捧げられていましたが、預言者エレミヤの時代になるとエルサレムはかつてのシロのように祭司たちや神殿で奉仕する人たちによる犯罪行為が顕著になってしまいました。それでエレミヤはエルサレムもシロのように捨てられる日が来ると預言しているのです。 イエス様もエルサレム神殿の中庭で祭司たちが聖い神様の神殿を強盗の巣にしてしまったと言って咎めたことがありました。新約聖書では私たちクリスチャン一人一人が神の神殿であるとされています。私たちのたましいの中に聖い神様が聖霊となって宿っているからです。私たちは私たちの身体を罪を犯すために使用せず、神様の愛を表すために使用しなればなりません。 祝福を祈ります。