今日の聖句11月19日(水)\(^o^)/ わざわいだ。不法を謀り、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。 ミカ 2:1 あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。 マタイ20:26 ************* 今週のテーマ:患難との戦い きょうの聖書:2コリント11:16-33 コリント人への手紙第二11章31節32節33節 もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。主イエスの父である神、とこしえにほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないことをご存じです。ダマスコでアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの人たちの町を見張りましたが、私は窓からかごで城壁伝いにつり降ろされ、彼の手を逃れたのでした。 「パウロの苦難」 コリント教会の信者はほぼ異邦人でした。異邦人とはユダヤ人以外の人を指す言葉です。ユダヤ人は自分を選民と呼びます。選民とは神から選ばれた民族という意味です。パウロが伝道してコリント教会が生まれたのですが、そこへユダヤ人が入り込んでユダヤ教を吹き込んでしまったのです。 ユダヤ人らは自分たちが神から選ばれており、異邦人よりも優れているのだからコリント人は我々の教えを聞けと語りました。更にユダヤ人らはパウロは偽使徒だと言い、パウロの教えに騙されるなと言いました。それでパウロはユダヤ人に騙されてしまったコリント教会に自分が正当な使徒であることを弁明しなければならなくなりました。 2コリント11章にはパウロの使徒としての権威を証明する言葉が連ねられています。パウロは自分が系図を持つユダヤ人であることを初めとして、伝道者として受けた苦難を列挙しました。苦難を受けたことを自分の誇りとして語ったのです。キリストの復活を福音として宣教するのには大きな危険が伴うのです。 「ダマスコでアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの人たちの町を見張りましたが、私は窓からかごで城壁伝いにつり降ろされ、彼の手を逃れたのでした」という一文はパウロが受けた苦難の一例です。現代の一般のクリスチャンもキリストの復活を証しようとすれば大きな抵抗を受けるのが普通です。しかし、そこを乗り越えなければ福音は広がりません。挫けることなく証人として全うさせて頂きたく思います。 祝福を祈ります。