今日の聖句11月8日(土)\(^o^)/ わたしは目の見えない人に、知らない道を歩ませ、知らない通り道を行かせる。 イザヤ42:16 わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。 ヨハネ8:12 ************* 今週のテーマ:死に打ち勝つ きょうの聖書:ローマ14:7-12 ローマ人への手紙14章7節8節9節 私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。 「主軸はキリスト」 ここに「私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです」というパウロのことばがあります。これはクリスチャンの証のことばです。誰でもとは、クリスチャンは誰でもということで、一般の人は自分のために生き自分のために死んでいるのです。 それは、私たちは罪と死の世界に、あたかも奴隷のように沈んでいたのですが、イエス・キリストがご自分のいのちを代価として支払って私たちを解放し、神様の子どもとしてくださったからです。私たちは皆神の子であり、主のものなのです。ですから私たちは生きる時は主のために生き、死ぬときは主のために死ぬのです。 「罪と死」の世界から「義と生」の世界に移されることを贖われると言います。贖うとは買い戻すという意味です。義と生の世界は愛と善の世界とも言い替えられます。私たちの信仰の中では、贖われるということと新生するということはほぼ同じ言葉として使われています。 贖われたものであり、新生し、新たに神の子とされて生きている私たちの人生の主軸はイエス・キリストです。キリストが主軸になって私たちの人生の車輪が回っているです。キリストにいのちがあり、キリストのいのちが私たちを活かし、キリストのいのちが私たちの人生を回しているのです。キリストを自分の人生の主軸に生きる人には滅びはありません。 祝福を祈ります。