今日の聖句10月24日(金)\(^o^)/ あなたの将来には望みがある。─主のことば─あなたの子らは自分の土地に帰って来る。 エレミヤ31:17 それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。 エペソ2:7 ************* 今週のテーマ:とりなしの祈り きょうの聖書:エレミヤ10:17-25 エレミヤ書10章23節24節25節 主よ、私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。主よ、私を懲らしめてください。御怒りによらないで、ただ、公正をもって。そうでなければ、私は無に帰してしまいます。あなたを知らない国々の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって滅ぼし、その牧場を荒らしたからです。 「とりなし手」 これは滅亡しようとしているユダ王国に対する預言者エレミヤのとりなしの祈りの言葉です。個人も家庭も団体も国家も不正を行い放縦に身を任せればその行き着く先は滅びなのです。イスラエルもユダもまさに滅亡への道を歩んでいるのです。エレミヤはそれを嘆き、ユダ王国のために「わたしを懲らしめてください」と懇願しました。 結果的にイスラエルはアッシリヤに滅ぼされて消滅し、ユダはバビロニヤに滅ぼされててしまいました。しかし、ユダには神様の憐れみが注がれバビロンに捕囚されてから50年後にエルサレムに帰還することができました。このバビロン捕囚という出来事は世界史の中で特筆されるもので、全人類に対する神様からの警告となっています。 イスラエル王国やユダ王国が神様からの特別な保護がありながらも放縦という罪に陥ったので滅亡したように、誰でも放縦の結果は滅びになるのです。自分の欲望のままに生きる放縦を聖書は偶像礼拝と言います。ユダ王国に対して預言者エレミヤが警告を発し続けましたが、今の時代にはキリストが全世界に向けて放銃を戒める警告を発しています。 ユダとエルサレムに対してはエレミヤは神様に「私を懲らしめてください」と訴えて執り成し祈りましたが、私たちに対してはイエス様が、十字架で死んで「父よ。彼らをお許しください」と祈ってくださいました。エレミヤの祈りは叶えられてユダは釈放され、イエス様の祈りも叶えられて私たちが救われています。私たちにもエレミヤやイエス様のようにとりなし手となることが求められているのです。 祝福を祈ります。