今日の聖句10月23日(木)\(^o^)/ 女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。 イザヤ49:15 神は愛だからです。 1ヨハネ4:8 ************* 今週のテーマ:とりなしの祈り きょうの聖書:ヤコブ5:13-20 ヤコブの手紙5章14節15節16節 あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病んでいる人を救います。主はその人を立ち上がらせてくださいます。もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。 「信仰による祈り」 信じて祈る祈りは必ず叶えられます。これは確実なことです。しかし、疑いながら祈る祈りはかなえられません。病気も癒されますし、立てなかった人も立ち上がれるようになります。自分で祈れない場合は、教会の牧師や経験の深い先輩信者さんに祈ってもらうということも可能です。 私たちにキリストへの信仰があるかどうかは、癒しなり、救いになりを求めて信じて祈ろうという気持ちが有るか無いかで判別できます。癒しも、救いも、平安も勇気も信じて祈り求めるなら必ず与えられます。聖書に書かれている通りに祈ることです。聖書は祈りの実例であり、私たちにとっては祈りの手本でもあります。 次に言われていることは、罪があるならその罪を告白し、悔い改めて祈ることです。後ろめたい気持ちは禁物です。祈る人も祈られる人もともに罪を告白し、共に悔い改めて祈るときに、神様と私たちの間の仕切りが取り除けられるからです。罪が人と神様を分断するために神様の恵みを受けられないのです。 17節にエリヤの例が記録されていますが、エリヤも誘惑に負ける弱い只の人でした。彼はイゼベル王妃に脅されて遠くのシナイ迄逃げてしまったのですが、悔い改めて神様への信仰に復帰して祈ったときに旱魃中にもかかわらず雨を呼ぶことができたのです。不信にならず、神様の愛と力を信じて祈りましょう。私たちが祈ることを神様が待っているのです。 祝福を祈ります。