今日の聖句10月19日(日)\(^o^)/ 神よ沈黙していないでください。黙っていないでください。神よ黙り続けないでください。ご覧ください。あなたの敵が騒ぎ立ちあなたを憎む者どもが頭をもたげています。 詩篇83:2-3 イエスの周りにいた者たちは、事の成り行きを見て、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。 ルカ 22:49 ************* 今週のテーマ:とりなしの祈り きょうの聖書:イザヤ53:8-12 イザヤ書53章8節9節10節 虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。 「苦難のメシヤ」 イザヤ書53章には苦難のメシヤ像が描かれています。ここで彼と呼ばれている救い主はこのイザヤによる預言が語られた後およそ700年でイエスという名前でエルサレムに登場します。この方は神の民イスラエルを罪から救い、再び神の民として回復させるという使命を帯びています。 罪のために零落したイスラエルを救うという神様のみこころを実行する人間として描かれています。10節の「主のみこころは彼によって成し遂げられる」というみことばがそのことを明示しています。罪を犯して神の民としての身分を失ってしまったイスラエルを自分のいのちを「代償のささげ物」として差し出し、命乞いをするのです。 イエス・キリストの人生はイスラエルをとりなす人生であり、そのとりなしの祈りの保証が十字架による死だったのです。イエス様のとりなしは「イスラエルのいのちを救ってください、その代わりにわたしのいのちをお取りください」という命乞いだったのです。 その結果、神の民としてのイスラエルのいのちは回復し、エルサレムにこのキリストの救いのわざを証言するグループが生まれました。これがキリスト教会の誕生です。イエス・キリストの執り成しは全世界のすべての人に向けられていましたので、私たちもその恩恵を受けて神の子とされ、神様の愛に包まれて日々生きられるようになったのです。 祝福を祈ります。