今日の聖句10月18日(土)\(^o^)/ あわれみと赦しは、私たちの神、主にあります。 ダニエル9:9 このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。 エペソ1:7 ************* 今週のテーマ:主にあって一つとなる きょうの聖書:ゼパニヤ3:8-10 ゼパニヤ書3章8節10節 わたしを待て。─主のことば─わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集め、わたしの激しい憤りと燃える怒りをことごとく彼らに注いで、わたしのさばきを下すからだ。全地は、わたしのねたみの火で焼き尽くされる。そのとき、わたしは諸国の民の唇を変えて清くする。彼らはみな主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える。 「主を待つ」 ゼパニヤはBC.640年頃からBC.610年頃までエルサレムで活動した預言者です。その時期はエレミヤの活動期間の前半に当たります。ゼパニヤが天に召されてからおよそ18年後にエルサレムはバビロニヤに滅ぼされてしまいました。暴虐を行う国々が神様に裁かれてゆく中でエルサレムも例外ではありませんでした。 神様はゼパニヤを通して「わたしを待て」と語らせ、神様がイスラエルを救う救い主としてエルサレムに現れるのを待てと言われたのです。滅亡する国を救えるのは神様以外にはありませんし、更に滅亡してしまった国を回復させることができるのも神様以外にはありません。 ゼパニヤが活動していた時期のエルサレムでは、政治指導者も宗教指導者も堕落してしまい、神様をあざけり、神様のみことばを投げ捨てユダ王国全体が罪の泥沼に落ち込んでいました。ゼパニヤは神様に心を向けることができる人たちに、神様は「わたしを待て」と語っていると告げたのです。 その約束は、「そのとき、わたしは諸国の民の唇を変えて清くする。彼らはみな主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える」という内容です。「民の唇を変えて清くする」とは、人々に神様を讃える言葉を与え、神様を賛美する言葉を与えて信仰と礼拝を回復させるということです。無力な私たちにできることは只「主を待つ」ことだけですが、ここに全ての希望があります。 祝福を祈ります。