今日の聖句10月12日(日)\(^o^)/ その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。 ダニエル7:14 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。 ヘブル13:8 ************ 今週のテーマ:主にあって一つとなる きょうの聖書:マタイ18:18-20 マタイの福音書18章18節19節20節 まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 「とりなし」 この祈りは、罪を犯した信者のために、イエス・キリストの御名によってその信者が自分の犯した罪を認めて神に対して悔い改め、被害者に対して素直にお詫びできますように、というお祈りです。「どんなことでも」とは直接的には罪を犯した人が自分の犯した罪を悔いて神にたち帰ることです。そのとりなしの祈りをかなえると言っておられるのです。 この19節と20節の言葉は18章3節の「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。というところからの続きでイエス様はここまで一気に語っておられます。 自分を幼子のように低くし、兄弟をつまずかせず、一人のクリスチャンの尊厳を認めて、迷い出たものを連れ戻す。そのような弟子が天の御国では偉い人なのです、と教えられた後の結論的お言葉です。他人の罪ばかりでなく自分の罪のためにもあわれみを乞わなければならない私たちです。 「あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります」とヤコブ書で教えられています。支援的に赦し合って祈るときにキリストの恵みと祝福はまし加えられます。 祝福を祈ります。